手術も無事に終わり

乳がん
ことはる
ことはる

こんにちは。

ガンと13年以上共に生きてる、ことりはるえです。

日々の「輝く何か」を発信していきます。

「輝く何か」…としたのは、生きていられる以上、どんな事であっても“輝かしい事である“と思い込みたいからです♪

『ヤツ』をこの目で確認ッ!

術後の問診で、私の中にいた『ヤツ』と相対することができました。

先生が見せて下さいました。

印象としては、

『でかっッ!こわっ‼︎』

でした。

これが、悪性腫瘍と呼ばれるのか、良性腫瘍と呼ばれるのかは、本当に運命というか、紙一重の世界だったりするのかぁ…

とも思うし、けど、私の場合なんとなく思い当たる節みたいなものがあって…

しかし、それは自分にしか分からないことであって…

それに、証明のしようもなくって…

様々な要素が重なりそして絡みあって出来た悪性腫瘍だと思うから、一筋縄にいかなくて、簡単にも言えなくて…

私の場合の“悪性腫瘍が発症して然るべきだよなぁって私が勝手に感じていることの諸々“を、安易に口に出したら誰かの不安を煽ることになるかもしれないって思うから、自分で勝手に思って留めておくことが最善だと思っています。

一緒にいた私の母上は、摘出した『ヤツ』を欲しがっていました。

イヤイヤ、オイオイやめてよ… 恥ずかしい!

いらないっしょ!そいつ…

先生もお困りでした(笑)。

お母さん、持ってても困るでしょ!

って…

かなりの天然な母上ですが、さすがに『ヤツ』を欲しがるとは思わなかったので、思わず笑ってしまいました。

『ヤツ』を欲しがる母上

なんで、欲しがったんだろう… って、想像してみると、私の勝手な考え上での結論では、

『きっと子供への愛なのだろうなぁ…』

と、思うのですが、皆様いかがでしょう?

ほら、赤ちゃんの髪の毛“ファーストカット“的な?

もしくは、“乳歯をとっておく“的なやつ?的な⁉︎

あ、しかし↑これは、将来の医学の発展とともに乳歯の細胞が医療に役立つ可能性がある みたいだから意味深いことだですよね♪

まあ、私の母上の場合は、あまり深い意味がないのかな。多分、私の思い出として…という優しさかな♪ということにしておくことが、1番しっくりきます♡

ぁぁぁあ、また母上に会いたくなってきちゃいました。

いくつになっても、マザコンが抜けないなぁ(*゚∀゚*) 私は…

話がそれましたが、ひとまず『ヤツ』は私をむしばむことが出来なくなり、そう思うと少しほっとしました(まあ、『ヤツ』の分身達がまた残ってるのか残っていないのかは置いておいて…)!

オマケに『ヤツ』の大きさとは、反比例して、私の可愛らしいお胸の傷は小さなもので済みました。

私の中での、大事なポイントでした。

主治医の先生は、女性の『胸』が、女性にとって「いかに大切かっ」てことを、見た目の部分ももちろんですが、そこだけでなく女性の心情に寄り添ってくれた上で、『胸にメスを入れる』方なのです。

本当にありがたいです。

私はおばあさんだから…って問題じゃないよぉ

のちに、別のお医者さんにメスを入れてもらった親戚のおばあちゃんのお胸を見せてもらう機会がありました。

涙が止まりませんでした。

悔しくて悔しくて…

おばあちゃんは

ことはる。なかないでいおんだよぉ。もお私なんて、おばあちゃんなのだから、おっぱいなんかどうなってたっていいんだからさ♪

ぜーんぜん。おばあちゃんは気にしてないんだから。

って…

多分、本当なのかもしれないです。私が思うより、おばあちゃんは気にしてなかったのかも知れない。

けどね、衝撃的だったのです。

あまりに傷が大きくて…

というか、長くて…

まるで、日本刀でザックリ切られて、それをささっと縫い合わせたような感じでした。

患者さんの年齢や地域や病院や先生によって、こんなにも変わるのね… と、改めて感じました。

何を選び 何を選ばないか…

やはり、情報って大切ですよね。

選択肢の多さ及びその決定って、その後の諸々が様々に変わってきたりしますよね。

おばあちゃんとはいえ、女性ですもの…

そんな現実に寄り添って下さる先生は必ずいたと思うのです。

例えば、もう少し丁寧に縫うとか…

フリかも知らないけど、優しいフリをして下さる先生がいると思うのです。

しかしですね、一方で、

病状も心情も人それぞれだから、傷口云々なんてこだわってる場合じゃない‼︎ってこともあって然るべきだ、と理解しております。

選択肢は無限大で、その人その人にあったベストなものがあり、一概にアレがいい、コレがいい!は言えないという事は心得ております。

なぜなら、癌当事者だからです。

誰の方が辛いとか、私の方が可哀想とか、想いはいーっぱいあると思います。

いえ、あるべきです。

だから、先に述べたように、私がおばあちゃんの手術痕を見て涙する…なんて、本来は失礼極まりないことで、やってはいけない行為だったと思うのです。

それが、おばあちゃんが選択したことの結果なんですから。

なに、やっちゃってんんだろ、私…。

『テメェ基準で物事考えて、勝手に感情を露わにして、相手慰めるどころ逆に慰めてもらっちゃって。甘えてんじゃねぇぇえええ‼︎』

と、あの時の自分に厳しく言ってやりたいです。

何が言いたいかというと、患者さんの数だけ、痛みや苦しみがあって、その分だけほんの少しの幸せがそれぞれに日々訪れたらいいなぁと願うのです。

なってしまったことは変えられないから、嫌でも受け入れて前を向こう!と足掻くのです!

クソ辛いけど、その分その辛さを知らない人々が感じることの出来ない、何気ない幸せを感じることが出来るようになるから。

感謝や美しさや幸せって、小さな出来事の積み重ねじゃないですか。

だから、コツコツやっていきましょ♪

って、今なら思えます。

そうは言っても、思えない時ももちろんありますけどね。

けど、それで良いんだと思います。

行ったり来たりをまず認めるのが、心がぶっ壊れない秘訣だと思います⭐︎

皆様、今回も最後までお読み下さりありがとうございました。

いつも応援ありがとうございます♡

引き続き皆様の幸せを感じられる日々を願っております。

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